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奇特な人との出会いはおもしろい
〜辰水神社、忘帰処、美里龍神太鼓道場(津市美里町)〜


 2013(平成25)年2月28日(木)、早春の暖かい晴天の下、津市美里町の辰水神社に若林宮司さんを
お訪ねしました。若林宮司さんは美里龍神太鼓代表で、津市民文化祭音楽部門の中に平成22年度創設さ
れた「太鼓演奏」部門の会長でもあります。

(辰水神社)
 辰水神社参道前には津市の新年の風物詩ともなっている干支の大飾り物(平成25年は巳)が一際目立っ
ていました。参道の数百段あろうかと思われる急な石段を登って拝殿に到着。拝殿内の壁には昨年までの
干支大飾り物の額が飾られ、24年の辰の大飾り物は参拝者が下をくぐるとき煙を吐いて迎えていたそうだ。
 若林宮司さんによると、辰水神社の創建は西暦800年代で龍神信仰を起源とし、明治時代に地域の複数
の神社を一つにまとめて現在に至っているという。木板に列記された御祭神の名を見ると、日本神話の錚々
たる神々がお祭りされていることがわかり、うやうやしく参拝させていただきました。

(忘帰処)
 神社参拝のあと、美里龍神太鼓道場へ案内していただく途中、忘帰処(帰るのを忘れる処の意だという)
という場所に立ち寄ると、なんと、「美里龍神太鼓発祥之地」「美里輪踊り発祥之地」の石碑が建っており、
すぐ隣には若林家先祖代々のお墓があるではないか!? 聞けば、ここは若林宮司さんの土地で、平成9
年の美里龍神太鼓創設の記念に、なんと、自費で土地造成と石碑建立をしたという。そして、帰るのを忘れ
るくらい良いところという意味で「忘帰処」と名づけたのだという。

(美里龍神太鼓道場)
おどろき桃の木の状態で美里龍神太鼓道場に到着し、どのくらいの建設費で、どうやって建設費を調達され
たのかをお聞きすると、なんと、なんと、なんと、なんと、なんと、ナントの改新!
若林宮司さんが自費5千万円で建設されたそうな、そうな、そうなんだそうな!!

驚きの連続で道場の中を見せていただくと、舞台(兼練習スペース)、観覧スペース、太鼓保管スペース、
シャワー室、事務室のほか、舞台として使用する時の照明・音響器具一式が揃っている。太鼓は、締太鼓、
桶胴太鼓、長胴太鼓など、大中小数多くある。

道場内の壁の一所には数多くの木の名札が整然と掛けられ、聞けば龍神太鼓の協賛会員名を記されていて
現在150会員で、年会費一口1万円いただいているという。この協賛金が龍神太鼓運営に大きく役立ってお
り、毎年5月、協賛会員や地域の人を呼んで、日頃の感謝を込めて謝恩コンサートを開いているという。協賛
会員を集めるのも若林宮司さんの役割だという。聞けば若林宮司さんは県職員OBで、定年退職後、地域の
ために何かできることはないかと考え、美里龍神太鼓の創設に至ったのだという。

道場すぐ隣の別棟の中を見学させていただくと、洋楽バンドが練習できるスタジオや音響機器が数多くあり、
若林宮司さんがかなりの音楽好きであることが思われた。

(純米酒「みさと龍神」、CD「みさと龍神」、辰水神社御神饌干し昆布)
おどろき桃の木の見学と話を終え、帰り際に頂戴したのは、なんと、地元で作った純米酒「みさと龍神」。地元
に松島酒造という酒蔵があり、そこで作ってもらったのだという。さらに、あわせて頂いたのはCD「みさと龍神
(龍神ソレソレ節、美里龍神音頭)」、辰水神社御神饌の干し昆布。

(奇特な人との出会いはおもしろい)
今、パソコンでCD「みさと龍神」を流し、辰水神社御神饌の干し昆布をつまみに純米酒「みさと龍神」をいただ
きながら、このエッセイを書いている。そう言えば私が20代のころ、神社の神殿修理浄財としてためらいもなく
寄付をする私を見て、奇特だなあと友人が言っていたが、このたびお会いした若林宮司さんはなんと奇特な人
であることかと感慨を覚えた楽しい時間であった。

                     きさらぎ月尽のたのしい時間を思い起こしつつ 2013.3.1 太三